総目次

『よりどりインドネシア』第100号 発行記念

  

太平洋戦争下のマカッサルで日本人はいかに生きたのか
     ~元民政部職員・粟竹章二さんの証言~

 

粟竹章二さんは、1926年3月27日生まれ、第2次大戦中、マカッサルの海軍セレベス民政部に勤務、昭和19年2月1日、日本郵船浅間丸にて佐世保を出発、シンガポール、ジャカルタ、スラバヤを経由し、4月13日にマカッサル着 終戦後マリンプンでの収容所生活のあと 昭和21年5月帰国

粟竹様ほか戦時中マカッサルに駐在された方々ととのご縁


1997年頃、日本ではあまり馴染みがなかったスラウェシ島を紹介するウェブサイト「ウジュンパンダン便り」(当時 http://www.eternal-satar.co.jp/wakita )を発信、またサイトに掲載された記事をコピーして冊子をつくり、マカッサルの日本人関係者に配布しました。その1冊がたまたまマカッサル旅行中の粟竹様に渡り、粟竹様とのご縁が出来ました。

またスラウェシを愛する諸先輩の方々が、マカッサルから発信した「ウジュンパンダン便り」を見つけて、短期間にスラウェシを愛する方々のネットワークが出来上がりました。厚かましくもそういう方々に情報提供をお願いし、当方もスラウェシについての理解を深めることが出来ました。

粟竹様が関係する全国各区地にある戦友会のネットワークは情報収集に役立ちました。

スラウェシ研究会の足跡

2004- 8 故山崎軍太マカッサル特別市長(1942-45)次女悦子さんがマカッサル、マナド訪問・宝刀返還(渡邉、松井、脇田、マカッサル博物館長 Andi Ima)
2005-4 庄司栄吉先生のスケッチ集「セレベス追想」出版(編集協力:脇田)戦時中トモホンの中学校で教鞭
2005-6 マリンプン日本人収容所跡に平和記念碑を建立するための現地調査・打ち合わせ(粟竹)
2006-2 庄司栄吉先生北スラウェシ訪問 (映画班同行)
2006-3 マカッサル沖の海底で日本艦船・遺骨大量発見(マカッサル在住 小島)
2006-9 庄司先生北スラウェシ訪問ドキュメンタリー「メモリー・オブ セレベス」完成試写会(安田)
2008-5 戦時中の「マカッサル師範学校」の思い出、菅藤ナツコさんから戦時体験聴き取り調査
2009-6 厚労省「マカッサル遺骨収拾団」に参加(脇田)海上慰霊祭・焼骨式
2010-1

川崎市民ミュージアムにて戦時に製作された映画「セレベス」を関係者で鑑賞

2010-5 厚労省 納骨式参列
2011-6 Benteng Somba Opu 訪問, Tallo王国の墓を訪問(粟竹・松田・脇田)
2011-7 ワジョー王国のあったトソラ遺跡 現地調査(粟竹、脇田)
2011-11 伊東深水インドネシアスケッチ展訪問(平塚美術館)(脇田)
2012-1 マカッサル軍人慰霊碑移設の件(Maros) 対応(粟竹)
2012-5 亜細亜大学図書館(花機関の調査)(脇田)
2012-12 戦時中セレベスにおける日本酒秘話 情報交換(松田健明氏)
2013-1 戦前マカッサル和田商店の末裔 和田ひとみさんの「カウラ戦没者慰霊祭に参加して」公開
2013-10 北スラウェシ 長崎さん日系インドネシア人について聴き取り調査 大城ミレイ ほか
2014-2 Kasim さんの案内で日本海軍のマカッサル上陸地点訪問(粟竹、松田、脇田)、粟竹さんハサヌディン大学に日本文学全集を寄贈、Stellamaris 病院(戦時中マカッサル病院)を種村元病院長の遺族が訪問するための協力(粟竹ほか)
2014-12 近藤三郎 Pewarta Selebes 編集長のこと調査開始
2015-2 庄司栄吉画伯ご逝去
2015-3 Haji小林の墓の所在問い合わせ(カシム氏から)
2015-4 国会図書館で Pewarta Selebes 調査(脇田)
2016-1 黒崎久様の「セレベス新聞時代を顧みて」掲載
2016-9 戦時中 柳井メナド市長の孫から調査協力依頼(長崎、脇田)
2017-9 粟竹、松田、和田、脇田 マカッサル訪問、ハジ小林の墓地ほか、
2017-11 菊池優さん Taman Makam Pahlawan Massenrempulu Kab. Enrekang 訪問 独立戦争で戦死された親族の慰霊
2018-1 庵原哲郎さん逝去(87歳)南スラウェシの戦時賠償プロジェクト現地責任者
2018-2 伊藤民生さん 南スラウェシ、マリンプン現地訪問(厳父の足跡を辿る)
2018-3 「マカッサル歴史散歩」Mappannyukki の家 公開 戦争中日本人が大変世話になっている
2018-9 渡邉奉勝元マカッサル総領事マカッサル訪問(中部スラウェシ地震に遭遇)
2018-10 北スラウェシで綿花栽培に挑戦した宮地貫道について木村達也氏から講話(能見台にて)
2019-11 南スラウェシの木造船の現況調査(Takalar, Bulkumba)、Takalar 県における造船用木材の植林地域訪問、Sultan Hasanuddin の霊廟参拝 (脇田)
2020-4 戦時中マカッサルで Pewarta Selebes の編集員を務めた元毎日新聞の黒崎久さん逝去(101歳)
2020-7 戦時中マカッサルで活躍したハジ小林の墓地が荒廃している件について Kasim 氏が現状調査、On-line で対応を協議したが墓地改装は断念(Kasim, 粟竹、渡邉、伊藤、松井、脇田)
2020-12 ハジ小林、近藤三郎、吉住留五郎についてインドネシア語版の出版計画



2007年7月13日南洋貿易の永江さん(当時84歳)と横浜にて


2009-11-13 インドネシア文化宮にて 「スラウェシ研究会」の名付け親は大川さん (写真:インドネシア文化宮ウェブサイトから) 


2014-2-17 粟竹さん日本文学全集全100巻(後方右側書棚)をHasanuddin大学へ寄贈


2016-3-2 中村橋レストラン月の風で研究会 Pewarta Selebes 編集に携わった黒崎様からお話しを聴く



2018年3月22日 横浜金沢区能見台駅近くのレストランでの記念写真


2018年10月24日 能見台駅近くのレストランで、北スラウェシの長崎さん(右から3人目)、戦前北スラウェシで綿花の栽培に挑戦した宮地貫道についてお話しを頂いた木村達也さん(右から4人目)と


最近はマカッサルのカシムさん(右端)との共同作業が多くなった。


戦時中マカッサルで活躍したハジ小林の墓を探し出した Kasim さん (2017年)

 

セレベス民政部時代の思い出 (1)(2)(3)
Ingatan masa pemerintahan sipil di Makassar
(Kaigun Minseibu, Angkatan Laut Jepang)

戦時のセレベス関係年表

1942 1-11 ダバオから発進した堀内中佐(当時)の落下傘部隊が北スラウェシのランゴアン空港に降下
  1-15 日本人居留民ジャワからオ-ストラリ アに移送された
  1-24 海軍クンダリ(Kendari) 飛行場確保(東南スラウェシ)
  2- 8 海軍マカッサル上陸
  2-19 バリ島占領
  3-1 日本陸軍・ジャワに上陸、マカッサル民政府発足(?)
  4-25 海軍、ボルネオ、セレベス、セラム、小スンダに民政府を設置
  4-26 山崎軍太氏マカッサル名誉市長に就任
  7-23 南洋貿易の永江氏マカッサル上陸・着任
  10-9 南洋貿易の永江氏マカッサル上陸・着任
  12-8 開戦1周年記念、セレベス新聞発刊、日本語放送 マカッサル放送局(MHK)開局
インドネシア語日刊紙 Harian Pewarta Selebes 発刊 3万部(編集長 近藤三郎)
1943 1-10 銀座清月堂水原庸光氏マカッサルに到着、約3ヶ月で菓子工場立上げ
  2-11 (藤山慰問団が横浜から鎌倉丸で出発)
  3ー3 吉住留五郎(花機関)と興亜専門学校生徒ら マカッサル着
  4ー28 (鎌倉丸 魚雷を受け沈没 興亜専門学校生徒9名を含む 2000人以上の乗客が犠牲となった
  5 伊東深水海軍報道班員として南スラウェシ各地でスケッチ
  5-21 マカッサル放送局以外のラジオ受信禁止
  5-23 マカッサルで南洋倉庫落成式、トヨタ自動車セレベス支社地鎮祭
  5-27 メナドのセレベス新聞社がインドネシア語日刊紙「プルワタ・セレベス」発行、発刊祝賀会
    マカッサル研究所設立(6部門に数百名の所員)
  5-28 セレベス島南部に敵機が飛来(セレベス新聞記事)
  6-16 敵のデマ宣伝ビラ拾得者は届出ることを呼びかけ
  6-17 海軍メナド警備隊が邦人のラジオ聴取禁止、ラジオ受信機接収
  6-20 木野中尉・真鍋兵曹はマカッサル上空で敵大型爆撃機に体当たり
  7 (藤山慰問団が衣笠丸で帰国)
  7-6 セレベス縦断道路建設の一環としてタコンカジュ峠の開通間近の報道
  8-21 ハジ小林 アンボンからの帰途東南スラウェシ・ポマラ沖で戦死
  庄司栄吉氏北スラウェシ赴任のため浅間丸にて神戸港を出発
  11 藤山一郎氏は海軍嘱託としてセレベスへ向けて出発ー将兵慰問と地元の啓蒙・宣撫
  12 ラトランギ氏がマカッサル海軍民生部の参与に
1944 1 庄司栄吉氏マカッサル到着、マナドへ向けて出発(徒歩)、1月末トモホン到着
    マカッサルのセレベス新聞社の一部を郊外に疎開
  3-20 マカッサル中学初の卒業式
  4-1 花機関解散、吉住は海軍武官府へ移動、学生達は各地で孤立、または憲兵隊へ
  4ー13 ●粟竹様マカッサル港着
  4-22 米軍アイタベ、ホ-ランデイアに上陸
     
  5-6 西パプア増援船団9隻中3隻セレベス海で撃沈され、約2千人を失う。
  5-27 米軍ビアク上陸、8/20占領される
  6-2 南洋貿易小林氏 マノクアリからマカッサルへ移動
  7-1 マノクワリ陸軍1万5千人、ベラウ地峡に撤退を開始する
  7-15 マカッサル大和ホテルでセレベス新聞500号発行記念式
  7-22 福岡良男先生陸軍軍医として召集され大阪商船うらら丸で大阪出発
  9 メナド大空襲
    マカッサルのセレベス新聞社に焼夷弾
  9-2 メナド港空爆
  9-7 小磯内閣「近い将来「インドネシア独立許容」政策発表(9月9日のPewarta Selebes 一面で大きく報道された。)
  9 下旬 陸軍、マナド地区の防衛方針を放棄、南部セレベスに兵力を撤退する
    小島貞二氏が民間人としてマカッサル到着
    セレベス新聞社メナド支社が直撃弾を受け山中に疎開し新聞発行を続ける
  10-2 マカッサルのセレベス新聞社爆撃により崩壊
  11 (東京初めての空襲)
1945 1-9 米軍ルソン島リンガエンに上陸
  1-13 福岡良男先生は第2方面軍独立歩兵大隊付き軍医となる
  2-19 米軍硫黄島に上陸
  3-3 米軍マニラを占領
  3 インドネシア独立準備調査会結成 Badan Penyelidik Persiapan Usaha-Usaha Kemerdekaan Indonesia
  3-28 マカッサル湾で第11号掃海艇が空爆を受け沈没219名が犠牲に
  4-1 米軍沖縄に上陸
  4-18 米軍フィリピン・ダバオを攻撃
  4-30 連合軍ボルネオ・タラカン島に上陸
  4-29 日本海軍がマカッサルでインドネシア独立キャンペーン(スカルノ、スバルジョ等がマカッサル入り(天長節に合わせて)
  5 マカッサルで民族決起大会(ラトランギ、近藤三郎ほか)
  5-10 連合軍ミンダナオ島に上陸
    マカッサル大空襲
  6-23 沖縄32軍司令官自決、死者日本軍65631人、県民約十万人、米軍12281人
  6-24 連合軍ハルマヘラに上陸
  8-7 インドネシア独立準備委員会
  8-15 日本無条件降伏
     
  9-2 蘭印方面日本軍降伏
  9-21 オーストラリア軍マカッサル到着
  10-2 オーストラリア軍マナド到着
  11-8 南セレベスの軍、民間人2万人がマリンプンに集結
1946 1 オーストラリアからオランダへ統治移管、現地民族主義者とオランダ軍との衝突
  6上旬 南セレベス、在留日本人、陸海軍将兵パレパレ港より乗船、帰国を完了する
  12 東インドネシア国 (Negara Indonesia Timur、NIT, 首都マカッサル)への加盟 1946~1950
1947   B,C級戦犯の軍事裁判(1947~1949)
1950 8-17 「東インドネシア国」解散、インドネシア共和国に統合

脇田清之
1939年3月生まれ
1981-85, 造船重工鉄鋼会社のロッテルダム事務所勤務、インドネシア系オランダ人と交流
1997-2005 JICAの専門家、シニア海外ボランティアとしてマカッサルの PT.IKI に駐在

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